高度成長期に神田川が失ったもの
(左)典型的なコンクリート3面貼りの姿です。中野区弥生町付近の流れですが、まさに排水溝です。高度成長期には、異臭を放つ水が流れていました (右)発想は合理的です。用地取得の費用もかかりません。しかし、川の景観は台無しです。親水性とはほど遠い都市の姿です
江戸時代の神田川は、神田上水として市民と関わってきました。江戸から東京へと時代が移ると、神田川は水源の井の頭池に至るまで都市開発の洗礼を受けます。神田上水廃止後は、急ピッチで行われた開発のおかげでまさに都市の排水溝、どぶ川と化すのです。どぶ川化の要素がふたつあります。ひとつは、下水の流入です。汚染された水は、文字通り神田川に捨てられていたのです
この汚染状況に拍車をかけたのが、日本が世界に恥じるコンクリート3面貼りの護岸工事です。コンクリートに固められた川は汚れた水を地中に浸透させることもできず、水は自然の浄化作用を失い汚れてしまいました。結果は目に見えています。いたる所で、悪臭を放つようになりました。高度成長期、都市河川は排水溝としか見られなかったわけです。汚れきった川のBOD(神田川の自然で解説しています)は、40mg。綾瀬川にワースト1位の座は譲りましたが、堂々の第2位でした
河川の利用状況も、高度成長期には「親水」という概念はありませんでした。一体、何本の川が埋め立てられ、暗渠にされたでしょう。今、神田川が全川開渠という状態で残っているのはまさに奇跡です。高度成長期から、東京の川は排水路としか見られませんでした。暗渠にすれば、道路や公園用地を提供してくれます。神田川にも首都高速が上を走っている区間があります。単純に川を排水路として考えた場合、こうした用地の利用は合理的であるとさえ思えます。しかし、川として顧みられない川はどうなるか。まさに川として神田川は一度死にました